今日は、龍馬伝から離れて地域の話題に触れたいと思います。
奥三河の紅葉の名所として知られる大井平公園につり橋が架かります。
10月31日10時から竣工式典が開かれて午後から供用開始となります。
記念行事として「もみじ祭り」「スタンプラリー」が開催されます。
開催期間は、10月31日から11月14日の2週間です。
古橋懐古館もスタンプラリーのポイントの1つとなっております。
懐古館も協賛しなければということで入館料を40%引きの300円にしました。
入館料を決めるにあたって、理事長と館長の間でこんなやり取りがありました。
理事長「無料開放とするか」
館 長「無料とするとしっかりと作品を味わってもらえない。
少しでも負担していただいたほうがよい」
理事長「それでは、300円とする」
現在懐古館では、大河ドラマ「龍馬伝」に登場する人物の書などを多く展示しております。
たとえば坂本龍馬のほか吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、勝海舟、小曾根乾堂などです。
なお、大井平公園の入り口の高札には、「大井平公園の記」として公園建設の由来を理事長が記しております。以下がその「大井平公園の記」です。
三河古橋家6代源六郎暉皃は、明治25年初秋の候、病を押して駕籠で井山に登り、山祇を祭って百年計画植樹の完遂と山村の共存同栄を祈念すると共に、村民に説諭し、その暮れの24日、80才の生涯を閉じた。
暉皃の逝去するや、遠近恩顧の人々の間に追慕報恩の声が澎湃として起こり、北設楽郡農会(会長中山真琴)は頌徳碑を建て、その遺徳を不朽に伝えんものと決議し、この趣旨に賛同して義捐金を贈る者1千余名に達し、明治29年(1896)12月15日工を起すに至った。原石は黒田村に求め、建設地は暉皃が天保の家政改革に当って思いを林業に致し、富家から富村へと開眼した天保の植林地大井平の山麓にその地を卜し、古橋家の大番頭市川升七の設計によって園地化が進められた。この原石の切り出しから、8粁の運搬、更に大井平公園の造成と、これに奉仕するもの無慮数百、その碑の篆額と撰文は一等侍講副島種臣伯、揮毫は当代の第一人者吉田晩稼が当られた。
斯くして工事は順調に進められ、明治33年(1900)4月20日の吉日を卜して除幕式は挙行され、祭主は暉皃と同門の盟友で熱田神宮々司角田忠行、祝詞師は平田門で、赤報隊に参加し、暉皃の要請に応えてその余生を稲武地域の教化と開発に捧げられた佐藤清臣であった。
大井平公園も今や百年を経て、奥三河の紅葉の名所として知られ、一部公費も投入されて、その声価も高められつヽある折柄、ここに大井平公園の高札にその由来を記し、古橋暉皃の山幸の志操が永久に伝えられんことを希うものである。
平成14年盛夏
財団法人古橋会
理事長 古橋茂人